蓮見七月の部屋から考察

部屋から考える社会・世間

ニートのてきとうエッセイ『はじまり』

はじまり

 

普通科高校は嫌だった。

勉強のできな自分がもう一度五教科に挑戦するなんて、馬鹿げている。

そう思った。

今思えばこの時から卑怯な逃げ方をする癖があったようだ。

この臆病のせいで、商業高校へ進学した。

 

学校は特別に綺麗でもなく、汚くもなかった。

中途半端に生きる僕と同じようなところだった。

 

それでも教室へ入ると、人が居て騒がしかった。

半端なりに、生きていた。

 

生きているからには、何かが起こるはずで、その何かが僕にとっては読書だった。

 

進学校では朝勉強するらしい。

僕の通った高校は当然の様にそんなことはしなかった。

 

代わりに朝、読書をする習慣があった。

高い志を持って勉強するのは辛い。

しかし、何もしないのも責められるような気がする。

 

それできっと読書をさせるようになったのだろう。

 

クラスの中で、本を読んでいた生徒は半数に満たないだろう。

スマートフォンを机の中で弄っているとか、寝ているとかする生徒が多かった。

 

幸か不幸か僕は読む側の人間であった。

それが立派とか、読まないのはどうとか、そう言うことではない。

 

本を読んでも、読まなくてもそれなりの苦労がある。

僕はたまたま読書する方だった。

 

それでとにかく高校生活の朝は本を読む事になった。

教室に持ち込んだ本のタイトルは『ローマ人の物語

 

単行本で四十巻くらいある歴史エッセイだ。

僕の高校で読むと、ちょっと浮くような大人が読む本だった。

 

お前の学力で理解できるのか?と聞かれたら笑って誤魔化すしかない。

 

格好付けたかったんだ。

勉強から逃げてここに居るのだけど、「自分だって本気を出せばこれくらい」

そう言いたかった。

 

初めの五巻くらい読んで、案の定良く分からなかった。

だから『シャーロックホームズ』に浮気した。

 

教養ある大人の女性に憧れてはいるのだけど、同級生の女の子で妥協する。

そんな感じで浮気した。

 

それでいて、ホームズが終わったら、ローマ人の物語に戻ってきた。

節操がない。

 

ローマ人の物語』を読み直す。

おや?とページをめくる手が止まった。

 

読み返すと、この本には主観が多いことに気が付いた。

 

知的な顔立ちだ。

とか

こういうタイプの男は……。

等々。

 

以前歴史にIFは禁物だと言っていた先生が居たから、驚いた。

 

そして気が付いた。

自分の感じたことを表現していいんだ。

 

それ以降、誰が何を言いたくて本を書いているのか気になるようになった。

 

映画もマンガも絵も、何を言いたいのか考えたくなった。

 

勿論いい事ばかりではない。

崇高過ぎて何を言いたいのか見当もつかない様な作品に出合うと、打ちのめされる。

自分のバカさが嫌になる。

分からなかったから、ふて寝する。

そんなこともある。

 

それでも僕は考える様になって良かったと思う。

それまでは母や教師の言いなりだった。それが全てだった。

何も考えないよりは善い。

 

あの本を読み直した時、間違いなく僕は少しだけ大人に近づいた。

あれが僕本人のはじまりだった。