蓮見七月の部屋から考察

部屋から考える社会・世間

バトルアニメじゃないかもしれない!『チェンソーマン』7話感想

チェンソーマン!

 チェンソーマン最新話、見ましたか? 僕は凄く良かったと思うのですが、どうも賛否ありそうなのでその辺りを中心に感想を書いていこうと思います!

 

7話は永遠の悪魔にデンジくんが向かって行くところから始まりましたね。

 

永遠の悪魔を切って切って切りまくる。血が足りなくなれば悪魔を喰って体力回復。BGMはマキシマムザホルモンの『刃渡り2億センチ』大いに盛り上がるシーンのはず……。

 

でもTwitter上ではイマイチだったとの声も聞かれます。

 

良かったと思ってる人(僕も含めて)の目を汚すことになるのでツイートの引用はしません。プライバシーの問題もあるし。

 

ただよく思わなかった人も居るようで、その理由として挙げられるのは名言「永久機関が完成しちまったなアア~!! これでノーベル賞は俺のモンだぜ~!!」が物足りなかったと言う事なのです。

 

バトルシーンの迫力が足りなかったのでは?という人も居ます。個人的には悪いとは思いませんでしたが、言われてみればもっと狂気的に大音量で戦っても面白いかもとは思いました。

作中でもネジのとんだ奴が勝つ。と言うような発言もありましたので、狂った戦いを演出できれば物語の説得力も増すような気がします。

 

さて、ここからは僕の推測ですが、アニメ化に当たって製作陣はこの『チェンソーマン』と言う作品をバトルマンガとして捉えていないのではないかと思います。

 

バトルよりも人間関係や世界観、日常描写に重きを置いているように感じるのです。

 

7話の飲み会のシーンやそれぞれの回想シーンどれもハイクオリティ。

アキくんの日常シーンなんて本当に美しかった。

こんな技術力があるのにバトルシーンの評判が”一部で”よくない……。

 

やはり製作陣の主眼は世界観や人間関係に置かれているのではないでしょうか?

 

そして僕も1話から哲学的なテーマを含んだアニメだなと思って見てます。

(だからバトルシーンを不満に思ったことが無いのかもしれない)

 

デンジくんの様に貧しく、教育も受けていない人は却って物事を正直な自分の感性だけで捉えられる。

 

そんな人物が考える夢や幸せって何だろう? デンジくんを通してどう生きるか、幸せって何か、夢って何か、考えざるを得ませんでした。

 

そう言った内省的な作品だと捉えればバトルシーンに主眼を置くことは無いのかもしれません。

 

バトルが好きなのに! と言う方は今後の描き方によってはアニメは向いてないかも……。と言う流れになってもおかしくないのかもしれません。

でも大丈夫! 素晴らしい原作がありますからね! アニメがダメなら自分の想像力y理解力をフルに使って原作を楽しみましょう!

 

僕と同じように原作未読の方も今後の展開によって、アニメより原作の方がいい!という感想を持つようになるかもしれませんね。

どんな作品にも合う合わないはありますから、鑑賞者自身が工夫して自分に合った媒体で楽しむことが大切なんだと思います。

 

ちなみに僕はアニメの描き方、大好きです! 

 

この記事を読んでくれた方、ありがとうございました。

※取り上げた批判的な感想は本当に1部の意見でしかない事を改めて強調しておきます。大事なのは自分の感性だと思います

 

チェンソーマンのオープニング曲、米津玄師『KICK BACK』の解釈も書いてます!興味のある方はどうぞ

 

 

renminatsuki.hatenadiary.com

 

 

 

米津玄師さんによるチェンソーマン主題歌『KICK BACK』を考察してみた!

チェンソーマン主題歌の『KICK BACK』を聴きました!

僕は涙が出るほど感動しました。音楽についての知識は浅いです。コアなファンでもありません。原作も未読です。アニメだけ追っています。(執筆時は2話目まで放送されている)

 

でもなんで感動したのか自分で知りたい。そう思って記事を書いています。

もちろん芸術に対する解釈は鑑賞者次第ですから、ぼくの考察、解釈は間違っているかもしれません。多くの人とは違うかもしれません。

それでも自分なりに考えてみました。

 

太字が歌詞で()が僕の解釈や考察になっています。

 

努力 未来 A BEAUTIFUL STAR ×4

(努力して、未来に向かえば幸せを掴めるよ!という標語。美しい星は幸福と言う意味だと思う。これを4回も言っている。世界が曲の主人公に対して言っている)

 

ランドリー 今日はガラ空きで ラッキーデイ

(コインランドリーが空いていて幸運だった。言い換えればそれ位の事で幸せだと感じる人がこの曲の主人公。おそらく貧しい)

 

かったりい 油汚れも これでバイバイ

(べたついた自分の中にある煩悶、悩みを落としたい。納得したい。わざわざ油汚れと言っているところに悩みの厄介さ、落ちにくさが表れている)

 

誰だ 誰だ 頭の中 呼びかける声は あれが欲しい これが欲しいと 歌っている。

(人間の欲望という本性からの呼びかけ。)

 

幸せになりたい 楽して生きていたい この手に掴みたい 

(言いづらいけど、確かにみんなが思っていることを肯定的に歌っている。この手に掴みたい。は言い換えれば、今は掴んでいないと言う事。幸せじゃない!)

 

あなたのその胸の中

(あなた=我々リスナー、鑑賞者。あなたも前述したように幸せになりたいと心の中で思っているでしょう? という呼びかけ)

 

ハッピーで埋め尽くして レスト イン ピースまで行こうぜ

(幸せを積み上げて天国に行こう。努力して、未来に進めば幸福になれるらしい!レストインピースはラテン語を基にする標語らしい。天国=幸福として捉えた)

 

いつか見た地獄もいいところ 愛をばらまいて

(曲の主人公は地獄側の人間。あまり正義の側、つまり強い存在ではない。でも地獄にも良い所はあるから、こっちを向いて愛して欲しい!)

 

アイラブユー 貶してくれ 全部奪って 笑ってくれ マイハニー

(アイラブユー=幸せへの片思い。 マイハニー=幸福。幸福がこっちを見てくれないなら、攻撃して欲しい、蔑んでくれてもいい。だからこっちを向いてくれ! 自傷してでも幸福に愛されたい! 幸福になりたいんだ!)

 

努力 未来 A BEAUTIFUL STAR ×3

(努力して未来に向かえば幸せになれる)

 

なんか 忘れちゃってんだ

(努力して進めば報われる。本当にそうだっけ?)

 

努力 未来 A BEAUTIFUL STAR ×4

(疑問を抱きつつも、世間でよく言われる幸福になる方法を自分に言い聞かせる。4回も!)

 

4443で外れる 炭酸水

(4444が揃えばもう一本ジュースを貰えるという自動販売機が昔あった。この曲の主人公はそれを外しているのでアンラッキーな人物)

 

ハングリー 拗らせて 吐きそうな人生

(空腹過ぎて吐きそう。貧しい人生。あるいは、ハングリー精神、空腹をバネに上を目指すような精神論が肯定されているこの世界が気に入らない。吐きそうだ!)

 

「止まない雨はない」より先に その傘をくれよ

(言葉や精神論、綺麗ごとではなく物質的な支援が欲しい。傘を持つ人は傘を差しながら、傘を持っていない人に声を掛けるだけなのが現状だ。)

 

あれが欲しい これが欲しい すべて欲しい

(本能が欲求を叫んでいる!)

 

ただ虚しい

(でも欲求だけでは満たされない。欲しいハズなのに。大事な何かが欠けている? 本能からくる欲求に疑問がある)

 

幸せになりたい 楽していきたい

(幸せになりたい、楽していきたいとは思っているが、具体的にどうすればいいのか分かっていない。欲求があるのに虚しかったりする。心の中が定まっていない)

 

全部滅茶苦茶にしたい 何もかも消し去りたい

(どうすればいいか分からない。だから怒る。心の中に破壊衝動と自分ごと消えたい自傷衝動が同居している)

 

あなたのその胸の中

(心の中でどうすればいいのか悩んでいる。あなた=リスナーならあなたもそうでしょう? という呼びかけ。あるいは曲の主人公の心中が荒れていると言う描写)

 

ラッキーで埋め尽くし レスト イン ピース まで行こうぜ

(幸運によって天国=幸せになろう! でも2番の初めで主人公は炭酸水が当たらなかった。自分でも運による幸せの獲得は難しいと理解している)

 

良い子だけ 迎える天国じゃ どうも生きられない

(良い子=運の良い子だけが幸せになれる世界では生きられない。主人公は悪人寄りの人間。強くない。そして善人だけあるいは幸運な人間だけが成功するこの世界に疑問がある。そういう世界では生きていたくないと思うくらい嫌い)

 

アイラブユー 貶して 奪って 笑ってくれ マイハニー

(攻撃しても良い、馬鹿にしてもいい、だからこっちを見てくれ幸運よ! 1番では”全部奪って”だったのに”全部”が消えている。消して欲しくないモノができたのかもしれない。1番と2番の違いは疑問を抱くようになったところだと思う。だとしたら奪われたくないのは疑問に思う心だろうか)

 

努力 未来 A BEAUTIFUL STAR ×3

(努力して未来に向かえば幸せになれる)

 

なんか忘れちゃってるんだ

(決められた幸せになる方法では何かが足りない! 自分の中に世間一般の言説に対する疑問がある。でもそれは具体的な言葉にはなってない。だから”なんか”という曖昧な表現)

 

ハッピー ラッキー こんにちはベイビー

(運が良かったために幸せにも赤ちゃんが生まれた。ベイビーは愛する人に対するよびかけでは無い気がした。キャラソンとしての表現とダブらせているのかも。キャラソンとして捉えるなら、マイハニーもベイビーもマキマさんになるのだろうか)

 

良い子でいたい そりゃつまらない

(良い子=努力して未来へ進めば幸せになれると思っている人。そうでありたいと赤ちゃん、あるいは新世代が言った。それではつまらないと主人公は言う)

 

ハッピー ラッキー こんにちはベイビー ソー スイート

(努力して未来に向かえば幸せになれる。そう考えるのは甘いんじゃない? sweetは可愛いでは無く”甘い”とか”未熟な人”に対して言った言葉として解釈した) 

 

努力 未来 A BEAUTIFUL STAR ×3

 

なんかすごい 良い感じ

(なんとなく正しい感じ”だけ”ある 良い感じがするだけじゃない?という皮肉)

 

努力 未来 A BEAUTIFUL STAR ×4

(努力して未来に向かえば幸せになれる。そう誰かが言っている)

 

(女性の嘲笑)

(努力して未来に向かえば幸せになれると言っている張本人。むやみに信じている人を嘲笑っている。本気でそう思ってる? 馬鹿じゃない?)

 

 

解釈は以上になります。

この曲は単なるキャラクターソングではないのではないか。と言うのが僕の感想です。キャラソン・アニソンとしての捉え方は書きませんでした。原作ファンは怒っているかもしれませんね。

 

でも原作未読の僕が感動するくらいの曲ですから、なにか普遍的な訴えるものがあると思います。それが”努力して未来に向かえば幸せになれる”という単純な刷り込みに対する疑問なのではないかなと思います。

 

もし僕の解釈通りであれば、米津さんは相当、社会に対する洞察が深いです。

最近になって運が無ければこの世界では上手く生きられないよね。というのが分かってきてしまっています。

成功と言うのは遺伝子や家庭環境に大きく左右されるだろうと言うのが最近の潮流です。なのに”努力して未来に向かえば幸せになれる”とか”止まない雨は無い”などと奇麗ごとを正しいかのように吹聴する人がいる。

あれ?それって本当に正しいの? そんなに単純な世界だっけ? そう言った疑問がこの曲に込められているように感じます。

 

それから一貫してこの曲は弱者に寄り添っているように感じます。曲の主人公は貧しいでしょうし、普通はあまり言えない”楽して生きたい!”という感情にも肯定的です。

しかも善人だけが救われる世界に疑問がある。

本当に多くの人を対象にした曲だと思います。米津さんは相当優しいお人柄なのでしょう。

 

ただ、現代社会に疑問があっても解決策は見いだせていないように思います。

だからこそ””なんか忘れちゃってるんだ”や”すごくなんかいい感じ”という抽象表現にとどまっているのかなと思います。最後の女性の嘲笑も”まだ結論はでないんでしょう?”とこちらを挑発するかのようにも聞こえます。

 

だたこの曲は本当に優しくて、幸せに対して切実だなと思いました。

僕も心の中で幸せになりたいと思っていたから、感動したのかもしれません。

 

冒頭と同じような事を言いますが、芸術の解釈は人それぞれです。

たぶん僕の解釈も滅茶苦茶だったりするのでしょう。的外れだと言う人も居るでしょう。

でも楽しかった。

みなさんも独自に解釈してみてもいいかもしれません。本当に楽しいですよ。

しかし、作曲してくれた米津玄師さんに迷惑が掛からない範囲でやりましょうね。

 

読んでくれた方、ありがとうございました!

文章の練習

清水良典さんの『2週間で小説を書く!』を参考に文章の練習をします。

今回は文章の断片からイメージを膨らませて、別の文章にすると言う練習だそうです。

 

元ネタは著書にあるのですが、孫引きになるためそのままの引用はしません。

ただ『鶏』というタイトルだそうです。

以下、私が膨らませた文章。

 

 日曜であるにも関わらず、ポールは朝早くから部屋を出た。玄関から数メートル先、スタントン通りと書いてある標識のすぐ近くを、幸運にもあの鶏は歩いているところだった。

 ポールは慎重に足を進める。じりじりと距離が近づく。1mほど近づいたとき、鶏は因縁の18番街を南に曲がった。

 昨日、ここ18番街の曲がり角で、カールとその手下たちが半笑いで馬鹿にしてきたことをポールは思い出していた。奴らにバカにされたままではいられない。悔しさを勇気に変えて、ポールは鶏を追い、南に曲がった。

 四軒分、間合いの取り合いをして一羽と一人は私道に入った。何の因果か、鶏はカールの家の玄関前の階段に登った。

 倒した鶏をカールの家に運ぶ手間が省けた。ポールはレスリングの選手の様に前傾姿勢で鶏を睨みつける。

「あれは闘鶏だぜ。お前なんか爪でちょっと引っかかれただけで、ママに泣きつくに決まってる」

 カールの憎たらしい顔が鶏の顔と重なった。ポールの狙いは鶏の首だ。

 玄関先の芝生を蹴って階段の上の鶏に突っ込んだ。ポールは首を掴んだ手ごたえを感じた。しかし闘鶏場から逃げ出した鶏にも意地がある。

 一羽と一人はもつれ合い、のたうち回った。ポールの背中や鶏の爪が玄関扉に何度も当たる。

 もみ合いの末、ポールは完全に後ろを取った。チャンスを逃がさず首を掴んで立ち上がり、鶏の自由を両手の中に封じ込めた。鶏は目を見開き、翼を広げバタつかせている。しかしポールは絶対に首を離さなかった。

「どなたですか?」

 ぼんやりとした声を上げながら、小太りのガキ大将がドアを開けた。

 トロフィーを天に捧げるかのように、ポールは鶏の首を掴み上げ、カールの前で仁王立ちした。

 

 

Fラン大学中退・現役ニートが語る『Fラン大学まとめ』

アクセスしていただきありがとうございます。

今回はネットで炎上している「Fラン大学まとめ」という記事を見たFラン大学中退、現役ニートの僕が語って行こうと思います。

ランキングの是非などについて語るのではなく、Fラン大学そのものについて述べていきます。

 

 

事の起こり

事の起こりはツイッターで話題になった『就活の教科書』という就活情報サイト

 

そのサイト内で「行く意味ある?Fラン大学まとめ」という記事が掲載されました。

これがツイッターで大炎上。

 

また、このサイトでは以前(それもほんの少し前)にも「底辺の仕事ランキング」という職業差別意識丸出しの記事を掲載して炎上していました。

 

該当サイトのURLです↓

就活の教科書 | 新卒大学生向けの就職活動サイト (reashu.com)

 

そんなサイトが今回はFラン大学を晒すことに。

 

    ↓こんな感じでツイッターには出回っていました。



このランキングをすべて見るとそれなりに有名な大学や、美術系の大学も晒されているため、このランキング自体に違和感を覚える方も多そうです。

 

今回はランキングの正しさでは無く、Fラン大学っていく意味あるの?という観点から実際に通っていた僕が語る事で、この記事を見て腹を立てている人や、今Fラン大学に通っている人の役に立ちたいと思っています。

 

 

Fラン大学ってなに?

そもそも筆者も通った事のあるFラン大学というのは何でしょう?

 

そもそもこのFというのはある塾が大学別に難易度ランキングを作った時に、付けたモノ。

Fランクというのは、受験しても落ちる人がほとんどいないFreeと言う意味らしいです。

SSSランクが東京大学ですからその遥か下のレベルの大学という意味になります。

 

ランキングにしたものですから、頭の悪い大学・無名の大学=Fランク大学

という風に言われるようになり、それが縮まってFランというようになっていきました。

 

つまりFランというのは現在ではとにかく頭が悪そう、あるいは無名の大学だ。という事を表す蔑称なのです。

 

Fラン大学って通う意味無いの?

行く意味が無い等と言われるFラン大学。

このランキングに乗ってしまった大学に居る人や、受験を考えている人は不安だと思います。

ですので正直に通った経験のある筆者が述べます。

 

正直に言って他の有名大学へ行くよりも恩恵は少ないと言うのが正直な感想です。

まぁこれは当たり前で、頑張って勉強した人が東京大学やMARCHに進学するわけですから、卒業後、平均よりも頑張った彼らが報われるのは当たり前です。

 

ただ、在学中に努力して良い職場に就職する人や、貴重な経験をする人も居ます。

 

入学時点であまり努力をしていなかったり、突出した能力や経験が無い人でも与えられた4年間をどう過ごすかで変わってきます!

 

実際、僕が在籍中に早稲田大学慶応義塾大学を卒業したような学生と同じ待遇で会社に入った先輩が居ました。

 

なんでそんな裏ワザ的な事が可能なのか?

それは学年で1番、2番、3番くらいまでの好成績を採れば、教授からの覚えもめでたく、良い就職先を斡旋してもらえるからです。

 

まさに裏ワザ的ですが、本人の努力が報われる一つの形ではあると思います。

少なくとも僕の大学では優秀な人材は優秀な教授に導かれて、大企業と同じくらい良い待遇の会社に就職していきました。

本人の努力と運次第で、通う意味を見出すことはできます。

ただこれは通っている大学の教授の質に左右されてしまいますね。あくまで参考として考えてください。

ですからくれぐれも、行けるなら良い大学に行ってくださいね!

 

じゃあ他の人はFラン大学に通う意味は無いのでしょうか?

Fラン大学内でも成績が振るわないと言う人はいます。でも、そう言った人もボランティア活動をしたりサークル活動に打ち込んだり、行動次第で4年間は充実します

 

ぼくは良く思うのですが、Fラン大学なんて通う意味ないよという人は合理的に考えて生涯収入などを算出しているのではないでしょうか?

もちろん生涯収入だったら東大や有名大学に行った方がいいです。

 

でも経験や、とにかく4年間のモラトリアム期間が欲しいという人には得になるはずです。

 

ちなみに筆者は在学中に手話に出会います。

同級生にろう者(耳の聞こえない人)が居たのです。ぼくは彼女やその後輩を支えるためのボランティア活動に打ち込みました。

恥の多い僕の人生の中で、唯一の誇りとなっています。

サポートした事の副産物として、コミュニケーションの難しさや尊さをしりましたし、タイピング技術や手話も日常会話位ならこなせるようになりました。

通っていて良かったなぁと思うこともあります。

(全面的な肯定ではなくて一面的な視点からの話です)

 

しかし!

奨学金などについては注意して調べないといけません!

生涯収入を考えるのであればやはりFラン大学には通うべきではないでしょう。

家庭の事情などよく相談してくださいね。

 

さて、それでも価値観というのは人それぞれ、事情も人それぞれ違います。

 

どうしても4年間欲しい! 親から大学くらい出ておけ!と言われてしまっている。

 

そう言う人はFラン大学でも通うわけです。

通うことになったらば、良い成績を修めて、良い経験をすればそんなに

絶望する必要は無いのかな……。と思います。

 

もちろん行けるなら良い大学に行った方が絶対に良いです!

 

しかし絶望するほど行く意味が無いかと言われるとそれは自分次第になります。

 

Fラン大学内の問題点

大学内の問題点について話します。

やっぱりFラン大学と言われるだけあって、学生の質が悪いです。

講義中にうるさいヤツとか普通に居ます。もちろん頑張っている生徒もいますが。

 

それから議論もしないですし、講義中に意見を述べられる生徒が極端に少ないと思います。本を読む学生もほとんどいません。

 

大学生活に活発な議論や読書経験、論文を読み漁る。などの経験を求める人はやっぱり大学の校風を良く調べる必要があると思います。

生徒がワルそうじゃない大学が良い、頭が悪いけども真剣に活動をしているとか、そういう観点で大学を選ぶのもアリです。

 

すでに通っている人は自分で読書したり、論文を読み込んだりしてください。

仲間はいなくとも、勉強はできます!

 

議論や意見の表明は、個人的に優秀な教授を捕まえて吹っ掛けるという方法で実現可能です!

 

生徒は悪いけども教授には意外と偉い人が居る!って事がままあります。

諦めるのは早いですよ!

 

ただ問題点として、生徒の質が悪いことが予測される

という事は言っておきます。

どうしてもそれが嫌なら頑張って勉強してランキング上位の大学を狙ってください!

まとめ 

いかがでしたでしょうか?

筆者としては当たり前だけどランキング上位の大学に行った方が得られる恩恵は多いよね。という立場です。

すでに通っている人や通う予定の人にはそんなに絶望する必要はないよ。自分の努力と運しだいだよ。と伝えたいです。

 

「私はFラン大学だから……」と卑屈になるのが一番良くないです。

 

勉強はいくつになってからでもできますし、転職だって今は当たり前の時代らしいです!

諦めるのだけは、まだ早いと思いますよ。

 

ランキング上位の大学に通っている人には僕は素直に「おめでとう! 頑張ったことが報われて良かったね! 幸せになってね!」

と、純粋にそう言いたいですね。

 

冒頭に紹介したランキングは確かに僕も嫌な気持ちになります。

しかし良い大学に行った方が良いよ!というのは正論です。

ただ、Fランでも諦めないでね。これが僕なりの語りだと思います。

読んで頂きありがとうございました!

 

Fラン大学という蔑称がもらす弊害

言いたいことに少し追加点があります。

僕は個人的にFラン大学という蔑称が蔓延していることを不安視しています。

というのも昨今、拡大自殺が増えています。

拡大自殺というのは人生に絶望した人が、周りを巻き込んで自殺する事です。

 

人を2人殺せば死刑になれると思った。とかそう言う類の犯罪です。

現代社会が抱える経済格差の問題や学歴格差(Fラン大学と蔑まれてきた経験)が積み重なると拡大自殺や通常の自殺の遠因になるのではないかと不安なのです。

 

最近ではSNSで自分よりすごい人が簡単に見つかりますし、Fラン大学を叩く、馬鹿にする人も多いわけです。

そう言う傾向が、いわゆる無敵の人を作り出してしまうのではないかと心配しています。

ですので本文で絶望しない様に!と口うるさく書いたのです。

筆者も拡大自殺などの行為に走らないよう、気を付けて生活しています。

ニートだから気が滅入りやすいのかもしれません)

 

是非、「自分はFラン大学出身だから……」と鬱々としている人は絶望しないで欲しいです。

それからランキング上位の大学に入った方もFラン大学をバカにするような言動を控えて欲しいのです。

その小さな言動の積み重ねで恨みを買ったり、社会を破壊しようとする拡大自殺志願者などを生んでしまう危険があるからです。

そういった追い詰められた人間が襲うのはアナタかもしれません。

 

ランキング上位大学出身者の方にはFラン大学出身者や在学生をバカにすることを避けていただければと思います。

しがないニートからのお願いです。

 

 

『アキハバラ@NIGHT』 ニートのてきとうエッセイ

殺人的な暑さの中、この街の人々は生きていた。

自分のしたい格好をして、堂々と確かに歩いていたのだ。

 

友人と食事をするため、私は夕暮れ時に秋葉原へと向かって行った。

駅に着いて降りるとすぐに、おや? と思った。普段見る他の街とこの街は何かが違う。

 

普段使わない駅で降りたのだから当たり前ではあるのだが、間違いなく何かが違った。

この違和感の正体は人だったのだと今になってそう思う。

 

と、言うのも動きが何か、ぎこちなかったりセカセカしている人が多いのだ。

 

もちろん、サラリーマン風の男や学生風の人も居たのだが、変わった動きをする人が多かった。

この動きについて批判的、差別的な感情は全く起きない。それどころか、私は好ましい印象を受けた。

 

歩いて私とすれ違う人々が、何やら楽しげなのである。何かを期待して、駅を降りた人が多いのだ。

 

ホームから移動して改札を探す。

私が出たのは昭和通り改札だった。

 

多くの人が粋かい楽しげに何かについて話している。

若い男女、それも決して恋人風ではないペアが何処へ行こうかと話し合う。

服装や年齢からは何の繋がりも見いだせない集団が○○へ行こうと相談している。

 

別々に集まったはずなのに示し合わせたかのように、似た様な服装になっている集団もあった。

彼らは服に頓着しない。

これは悪い意味では決してない。

きっと彼ら彼女らには服装よりも気になる事があるのだから。

 

そればかりではなく、逆に服装それ自体が目的らしい人も居た。

私は長身の女とすれ違った。

真っ赤な口紅にカールした長い黒髪、暑いのにロングスカートを履いていた。

 

 

彼女が通り過ぎる時、私はようやく彼女が”彼”であることに気が付いた。

暑いのにロングスカートなのはきっと足に着いた筋肉を隠すためだ。

 

気付いてから私は彼をもう一度見た。

やはり”彼”だったのだが、彼に驚いているのは私だけだった。

 

同じく秋葉原で降りた人々は彼の事を気にしない。

当たり前だと言わんばかりに彼をこの街の雰囲気が包み込んで溶かしていたのだ。

 

異常なのは私だった。令和のこの時代、いや、その他の時代であっても人は好きな格好をしていいはずだ。

当たり前のことを改めて私は実感した。

すると、目の前を通り過ぎるゴシックロリータ風の女子大生も気にならない。

むしろ、その自由を謳歌する姿勢が美しく見える。

 

酷暑の中、この街の風通しのよさを感じてから、私は食事のために店へ向かった。

 

昭和通りという古臭い、ともすれば蔑称の様な名前のワリに、電子機器を扱う店が多かった。データ修復をやると言う店もあった。

 

名前とのギャップに感心しながら店に着き、友人と会い、焼き鳥を食べ、酒を飲み、恋人に関するありきたりな話をした。

 

店を出ると完全に日は落ちていた。

酔うと肌が少し張る。そこに夜の風が当たると何とも気持ちいい。

 

人通りは少ないが、笑っている人が多かった。この街の人気を彼らの笑顔が証明している様だった。

そう言う街の景色を見ると、私は帰りたくなくなった。

 

友人に「少し歩きたい」と私が言うと、彼は電気街の方へ行こうと私を誘った。

そこにあるゲームセンターに彼は行った事があるらしかった。

 

歩きながら、私は彼に以前聞いた秋葉原についての知識を披露した。

「AV女優が握手会をやってたらしいよ」

今思うと、酔い任せのくだらない話題だった。

彼は「いいねぇ行ってみる?こんど」と答えてくれた。

「誰が好き?」

私が訊くと「恥ずかしいから教えない」と言われてしまった。

セクハラだったかもしれない。

 

すでに夜の10時だった。人が少ないのはコロナの影響だったりするのだろうか。

「オタクって人種は早寝なのかもしれないね」と友人は言っていた。

 

電気街へ近づくとメイドさんと中年男性が道端で会話していた。なぜか私はその光景を見て安心していた。

 

私は普段、メイドさんとは無縁の生活を送っている。

だからメイドさんの可愛さに驚いた。それから彼女らが楽しそうなのにも驚いた。

もちろん営業スマイルの可能性もある。でも彼女たちの中に心から秋葉原が嫌いだと言う人はいない気がした。

 

彼女たちの営業は他の街にいるアヤシゲな勧誘と比べて無垢だった。

積極的に私たちに声を掛けず、むしろ声を掛けてもらいたい風でもあった。

それがまた可愛らしい。

 

ところで、眼帯をしたメイドさんも居たのだけれど、いったいどうしたらメイド服に眼帯などと言う天才の閃きを発揮することができるのだろうか?

 

「ここだよ」

考えてるウチに目的地に着いたらしい。

ゲームセンターはビルのように縦に伸び、電子看板が夜空の中に目立っていた。

 

早速中に入るとラフな格好の中年男性がクレームゲームをプレイしていた。

仕事を終わらせ、着替えてから遊びに来たのだろうか?

 

彼を通り過ぎ、レトロゲームのある2階へ向かう。

エスカレーターに乗っていると艦これ(ソーシャルゲームのタイトル)のビスマルク(登場する美少女キャラクター)がこちらを見ていた。

 

面白いのは彼女のそばに書かれた数字だ。

今時こんなことを言うと怒られるかもしれないが、セクシーな女の子の隣に置かれた数字と言えば、スリーサイズに決まっている。

そうでなければ、身長や年齢である。

 

しかしビスマルクの隣の数字はモチーフとなった戦艦に備え付けられた大砲の大きさだった。

これには鉄血宰相もあの世でビックリしているはずだ。

 

2階に着くと多くのレトロゲームが青い光を発していた。

私は友人に勧められて軍人が敵兵や戦車を倒す横スクロールゲームをプレイした。

イージーモードでボスを一体倒しただけだが悪くなった。

台に着いたあのレバーとボタンをガチャガチャ動かすのが気持ちよかった。

 

友人はと言うと、対戦型のゲームを私の前でやってくれた。

彼が負けたあと、対戦相手が向かいの台に居ると知って驚いた。

そう言えば、フロア内で中年の、髪の薄くなった男性が、若い男に声を掛けていて不思議だった。

なぜ見知らぬ人と挨拶を? あれは試合後の握手だったのだ。

 

一通り見て回った後、私たちは帰ることを決めた。しかしどうにも私はこの街から出たくなかった。

 

思い思いの格好で歩き、各々が好きなモノやコトを求める。

この雑多な人や店のアナーキーさを私は好きになってしまっていたのだ。

 

「少し歩かない?」

言い訳もせずにこう言うと友人も同意してくれた。

 

私たちは上野駅に向かって行った。

 

お客さんと路上で話すメイドさんや座り込んでカタコトの日本語を操り話す外国人。

彼らとすれ違い、背を向けるのは寂しかった。

 

SNSや世間体に監視される現代で、もっとも開かれた場所。

今夜はここの少し冷めたアスファルトの上で寝てしまっても良いと私は思った。

 

しかし私にそんな勇気は無く、私の夢想と秋葉原という自由の街は歩みと共に遠ざかった。

 

どんどんどんどん上野駅に近づいて、、奇抜な格好の人はいなくなる。

アニメの広告も電子部品の店も減り、一般人の思う”マトモ”な世界になってきた。

 

電車に乗り、友人と別れ、私は地元の駅にたどり着く。

周りに居るのは大学生やサラリーマン。みんなどこかで見た顔だ。

 

大きく息を吸い込むとロータリーに植えられた木々の香りが鼻の穴に滑り込む。

 

帰って来た。旅行に行ったワケでも無いのに、あの帰宅したときに感じるな懐かしさがあった。

 

でも私は、あの雑多で自由なアキハバラという街で、大の字になって眠りたかった。

車も人も、社会の事も世間体も全て忘れ、何にも縛られずに夜の空を見つめたかった。

 

『周りが堕ちると落ち着いた』ニートのてきとうエッセイ

最近、こんなツイートを見た。

 

内閣府の調査によるとデートの経験が無い人が4割近く……。

年金が減額される……。

それからイーロン・マスクの日本消滅の予言について。

 

こう言う話を聞くと、僕は落ち着く。もちろん僕は日本が好きだ。決して反日的な人間ではない。

 

しかし日本という太陽が傾いている話を聞くと、どうしようもなく安心するのだ。

 

これは僕がひきこもりという社会的には弱い立場に甘んじているからだろう。

 

僕は、ひきこもりだよ。でも皆だって調子が上がらないんだろう?

こう言った主観を大衆やデータが支持してくれるような気持になる。

 

悪いのは僕だけじゃない。日本という共同体が丸ごと良い状態じゃないんだろう。

実際その通りな事もある。

 

教育では教員が足りないらしい。

エンジニアが足りないらしい。

電気もこの夏足りないらしい。

そして致命的に足りないのは出生率だ。

 

我々は子供を作れない。作れる環境に生きていない。つまり、将来的に若者が減る。

その時、老人になった我々は、誰に支えてもらうのか。

今よりもっと減った若者たちを奴隷の様に酷使するのか? そんな事が出来るのか?

 

今だって若者は、いや、若者に限らず生活は苦しい。この苦しみを味わって、子供にそれを強いるのだろうか?

 

我々はきっと斜陽に生きてる。平家物語と同じように滅びることが分かっている話なんだ。

 

そう思うと、僕は不謹慎にもワクワクするのだ。

みんなで堕ちて行けるじゃないか。これは一種のナショナリズムなのかもしれない。

皆と一緒に居ることが嬉しい。

 

このように感じることは不道徳で、とても本名を使っては書けないだろう。

友人にもなかなか言えない。だけど溜まったものを吐き出した。

ここに書いて吐き出した。

 

不快になったら申し訳ない。でも不快になった人は健康だ。そのまま楽しく生きて欲しい。

 

ところで今、政治家さんたちは何をしているのだろう? 批判的な意味ではなくて、本当に。

 

もっと危機感があっても良いと思うのは僕だけだろうか?

このままいけば日本という国は残っても国民は消えてしまう。

 

今が良ければいいのだろうか? 与党も野党も心配だ。 僕らの見えないところで頑張っているのだろうか? そうだったらいいな。

 

もちろん日本全体の調子が上がってしまったら、働いていない僕なんかは迫害されるかもしれない。

だから僕にとっては日本が良くなるのはマイナスだったりするかもしれない。

それでも多くの日本人が幸せならそれでいいか。

 

調子の悪い時も良い時も、ぼくはこの国とこの国の人が好きなのだろう。

 

ただ、不調な今は皆と一緒にダメになりたい。そう思ってしまっているんだ。

 

エナジードリンクが流行したり、ヤクルト1000みたいなストレス軽減飲料が流行ったりするのも好ましい。

もしかしたら将来的にはドラッグや拳銃自殺が流行るかも。米国ではすでに絶望死というのがあるらしい。

 

この国でも流行るだろうか?

もちろんそんなことは考えてはいけない事だ。

 

希望の無い音楽なんかも流行るかも。

正直言って、楽しみだ。こんな事、言ってはいけないのだろうけど。

 

ぼくが吐き出したこの感情も、もしかしたら斜陽国家の歴史の中の1つかも。

 

そう考えるとやっぱり落ち着く。いけない事だと分かっているけど。

 

『ぼくはカラオケに行けない』ニートのてきとうエッセイ

ぼくは当然の様に女の子と話すのが不得意だ。

小さい頃から恥ずかしかった。少し大人になると怖くなった。

 

小さい頃、恥ずかしいと思ったのは女性というものについて知識が無かったからだろう。

大人になって怖いと思い始めたのは間違いなく母のせいだ。

彼女はぼくを支配する。

 

他の女性も母と似ているのではないかと思ったし、今も少し思っている。

何かあればすぐにぼくを非難する。ぼくの趣味や主張をバカにする。

ぼくのプライバシーを勝手に覗いて批評する。

 

そう言う面が他の人にもあるのでは? そう思うと女性以外も怖くなった。

幸いなことにぼくには心を許せる友人が居て、彼らの前でなら恐ろしい人間の心の内を気にすることは無い。

 

ただ、他人は怖い。

 

人が怖くなると恐怖から身を護るため、ぼくは自分の内面を隠そうとした。

ぼくはそれで口を開けなくなってしまった。

 

もちろん会話するときは口を開ける。

食事する時もそうだ。

でも必要最低限。

 

昼食を食べられない時期もあった。大学生の時に鬱が酷かったからだろう。

昼食を食べると口が開く。口が開くと無防備だ。

 

そう関連付けて想像したら、ぼくはご飯を食べなくなった。

 

女性と会話する時も口の開きを最小限に抑えてた。

攻撃してくるかもしれない他人に自分の内側、それも口内なんて繊細そうなところは晒せない。

 

口を開けることに対する恐怖が膨らみ、ぼくはカラオケにも行けなくなった。

もちろんカラオケが好きじゃないという事もある。小学生、中学生の頃からカラオケに行く人を観て不思議に思った。

 

なんであんなうるさい所に行くんだろう?

 

2回ほど言って見たことがあるけれど、参加者全員が歌う順番や点数に気を遣っていたのでぼくは疲れた。

 

あれはもう政治の場だとぼくは思った。

 

上手くやれれば支持率アップ。つまり女子にモテるとか男子とカップル成立とか。

下手をすれば相手にされない。人間から透明人間に降格だ。

 

だからぼくはカラオケに行けない。友人たちとも一緒に行けない。

口を大きく開けて、政治の様な喧々諤々の世界に飛び込むなんて、理解できない。

 

ぼくなんかすぐにソードラインを超えて切られてしまう。

女子の剣はきっと鋭く速い。

ぼくなんか再起不能になってしまう。

 

友人たちと行ったら、きっと彼らは気を遣う。

気を遣うシーンが嫌いなのに、自分が好きな友人に気を遣わせたら本末転倒。

 

ぼくは八方ふさがりで、結局カラオケから逃げるしかない。

 

「カラオケ行ってきた!」

なんて楽しく言う人が羨ましい。

他人に無防備を晒せるなんて幸せだ。ぼくからしたら天才的な才能だ。

 

カラオケに行ける人、どうか楽しんで。

ぼくは戦いを放棄する。 いつか一人カラオケでも……。 なんて妄想しながら。