蓮見七月の部屋から考察

部屋から考える社会・世間

炎上事件に見る私刑の正当性

昨今の炎上事件に対して思うトコロはありますか?

 

つまり回転寿司店に赴いて、迷惑行為を働くと言った行為に対してです。

 

私としては炎上は炎上としてだけ捉えていますが、その後の私的制裁については好ましくないモノとして捉えています。

 

すでにインフルエンサー等が、少年の更生を妨げるのではないか?という懸念点を挙げています。

 

この意見が正しいのかは別にして、正しい正しくないの両意見がインターネット上で見られるのは、言論の自由が保障されている証ですから、これ自体は喜ばしい話です。

 

 しかし私としては当事者についてではなく、第三者である私達の問題について述べたいのです。

 

と、言うのもこの事件を第三者が裁こうとしているように見えるからです。

当事者が所属する団体に電話が掛けられたり、言論の自由を盾にして少年らを非難する動画がエンターテイメント的にアップロードされています。

 

これくらいいいだろうと思うかもしれませんが、少年らは刑が確定しているわけではありませんし、彼らが所属する団体は共犯者ではありません。

 

しかし前述したような社会的制裁が彼らに対して行われている。

私たちは裁判所や法を無視して私的制裁、つまりリンチをしているのではないでしょうか?

 

・回転寿司店は絶対正義か?

 

私もすっかり忘れていたのですが、某回転寿司では社員が焼身自殺をしています。

(これはインターネット上で話題になって労働環境問題ではないかなどと騒がれ、その後の広告でも不適切ではないかと話題になった)

また他の寿司店では偽の広告を出して行政処分を受けています。

 

にもかかわらず多くのインフルエンサーが回転寿司店を擁護します。上述したことには一切触れずに。

 

もちろん擁護する、非難するは個人の自由ですが、誰か一人でも、おとり広告や過去の炎上事件について考えた人が居るのでしょうか?

 

被害にあったからと言って全てが許されていいのでしょうか?

もちろん企業にも個人と同じように更生の余地は残されるべきでしょう。しかし過ちを全て忘れてもいいのでしょうか?

 

私は私刑に反対の立場です。ですから私が今、批判しているのは一時の感情に流されて他人を攻撃すると言う人間のマインドそのものです。

 

多くの人が自らを基準にして善悪を判断しようとしています。

自らの中に価値基準を置くことは尊い事です。しかし裁くのはどうでしょう? 無い真の自由を飛び越えて、外部へと自分の価値観が攻撃として表れてしまっている。

 

個人が個人を間違うことなく裁けるでしょうか?

 

関係者に電話を掛けたり、被害にあった団体が今まで何をしてきたか、すっかり忘れてしまうと言うのに。

 

・法ではなく感情で人を裁く社会になるとどうなるか?

 

 今回の炎上事件を見た第三者たちは、感情論と一般論で人を裁こうとしているのだと思います。

 

もちろん自分が正義の立場にあると信じての行いでしょうが、これが常態化するとどうなるか。

 

多くの人にとって好ましくない社会を、他でもない私たちの手で生み出してしまうことになるのではないでしょうか?

 

例えば、舘素政権下ではユダヤ人を差別することが正しいとされたでしょう。

聖職者でさえそうしたと言う話もあります。

 

またナチから解放されたフランスではドイツ人と交際した女性に危害を加えるようなこともありました。

彼らには誰かを傷つける権利があったのでしょうか?

 

法的根拠の全くない私刑だったのではないでしょうか。

 

誰かが誰かを、自分の価値観で判断して傷つける。

傷つけられるのは私やあなたや、あなたの大切な人かもしれない。

 

傷つける理由は何でもいい。

職業でも収入でも容姿でも、炎上事件でもいい。

 

とにかく理由さえ作られてしまったら、正義を自認する人たちから傷つけられる。

防ぎようのない善意から発生する暴力が、社会の中に蔓延することになる。

 

そんな監視社会で生きていたいと思えますか?

 

自分の一挙手一投足で炎上するかもしれない。酷い目に遭うかもしれない。リンチされるかもしれない。

 

日本人全員が秘密警察になり、全員が秘密警察に怯える様になる前に、私刑という悪臭をやめるべきです。

 

・結論

 私としては、被害者がどんな団体だったかも忘れる様な個人に、個人を裁く力があるとは思えません。

  

また私刑の正当性を裏付ける様な法的根拠もありません。

 

感情論や一般論で私刑を加えるその前に、一息ついてこの非難は個人がしていいモノなのか。この攻撃に正当性は果たしてあるのか、考えてみるべきです。

 

私やあなたが正当性のない暴力の被害に遭うその前に。