蓮見七月の部屋から考察

部屋から考える社会・世間

逆張りニートやっと「鬼滅の刃」を読み、泣く。

 

目次

f:id:RenmiNatsuki:20210302230818j:plain

鬼滅の刃 第一巻

 多少ですがネタバレあります。

鬼滅の刃」見た?

皆さん何度もこう聞かれたのではないでしょうか?

流行すると世間が流行りもの一色になっちゃんですね。

これが嫌で結局触れないままだということが多々ある。僕もそうなりかけていました。

所謂、逆張りと言う奴です。

流行に乗るのってダサくね?とかの感情に起因しています。

こっちの方がダサいですが……。

そんな僕もついに「鬼滅の刃」を読みました。アニメではなくてマンガ。

タイトルにも書きましたが泣きそうになっちゃいました。

凄く良いマンガだった。

 と言っても全体的べた褒めするのは聞き飽きていると思うので目次の様に

好みじゃなかったところ。良かったところ。まとめ。というように書いていきます。

 

 

鬼滅の刃のココは好みじゃなかった……。

確かに「鬼滅の刃」はすごく面白い。革新的な部分もあったんじゃないかと思う。
(ココが良い!で述べる)
でも全部が全部最高傑作か?と聞かれればそうではないと思う。
好みの問題もありますので。僕なりにココは好みじゃないなぁというのを書かせていただきます。

 

1殺陣のシーン

バトルマンガに何をいちゃもんつけてるんだという感じですが、僕は殺陣のシーンがあまり格好良いと思いませんでした。

~~の呼吸!とかキャラごとに特徴があって面白いのですが、バトルシーンは日本の漫画界では豊作ですからね。

つい他のマンガと比べると思います。正直言って、バトルシーンだけで見ると「ドラゴンボール」とかが圧倒的にカッコいいかな。

たぶんですが、色の表現が難しいんでしょうね。炎とか、水とか、マンガだと色がないから分かりづらい。(逆を言えばアニメではめっちゃカッコいいと思う)作者さんも丁寧な方でキャラクターの髪色とかしっかり設定がありますからね。そこがマンガだと出しようがなかった。

 

2説明文で結構言っちゃう。

鬼滅の刃」は結構説明文みたいなものがあります。「名探偵コナン」みたいに長い文章があるわけではないのですが、ナレーションのようなモノが結構しゃべります。

良いか悪いか、ではなくて僕の好みではなかった。

あのカッコいい設定とかが文章で書かれちゃってるんですよね。

絵だけで分かっちゃう!というような書き方ではなかったと思う。

GANTZ」等、奥浩哉さんのマンガだと絵で見せて理解させる!という様に僕は感じたのですが鬼滅の刃はその路線ではないようです。

設定を誰か良く分からないナレーションが言ってしまうのはちょっと僕は恥ずかしかった。

僕が中二病の頃に書いた設定資料集を友達に見せている。

そんな気がしちゃいました。でもこれも好みの問題。実際、設定はカッコいいし、絵も下手じゃな無いです。

 

鬼滅の刃のココがいい!

1血統の問題をついに打破!

読んでいて凄いと思ったのはここでした。ジャンプマンガって結局、血筋じゃないか!っていう意見があります。

例えば「ドラゴンボール」の孫悟空は地球人が努力したのではなくてサイヤ人という先頭民族が努力して強くなっていく話。

「ワンピース」はゴムゴムの実を食べて強くなる。もちろんその後努力するのだけど、根本はそこじゃないかとも思ってしまう。

NARUTO」も主人公のうずまきナルト四代目火影の息子さんでしたね。

 

でも「鬼滅の刃」は違う。

遂に普通の子が凄い努力と覚悟の元、頑張ります。

途中で、ご先祖様が結局凄かったのかな?と思わせるような描写もありますが、違った。

凄い剣豪のご先祖様の、友達の子孫が、主人公の竈門炭治郎(かまど たんじろう)

なのです。

つまりご先祖様が優しかっただけ。この優しいという、誰にでもできるけど難しい美徳を武器に必死に頑張るのが鬼滅の刃の魅力でしょう。

 

遂にご先祖様が特別でない、ヒーローが登場しました!

そのおかげで僕も随分、炭治郎を応援しました。普通の人間が頑張ってるわけですからね。他のヒーローより自分に近いんです。

 

2バトルシーンよりも良い!回想シーン

僕は殺陣はあまり良くなかったとさっき書いたのだけど、バトルじゃない回想シーンが凄く良かったです。

主人公たちは敵である鬼と決死の戦いをします。ですからどちらの陣営も死人が出る。

なのに誰一人としてテキトーに死んでないんです。敵にも味方にもエピソードがあって戦いに臨み、死ぬ。あるいは勝つ。

鬼滅の刃」は勧善懲悪モノだと言われるように善玉と悪玉が戦うお話です。

善玉側は本当に善良な人たちばかりです。だからこそ戦いに臨むと僕も含めて読者は敵をやっつけろ!いままで殺された人の敵を討つんだ!こういう風に燃えるのです。

しかしそれで盛り上げて終わらないのが「鬼滅の刃

敵が死ぬ間際、自分の人生を振り返るのです。なぜ鬼になったのか。俺の人生……。

って。そこで読者は、あっコイツにも人生はあったのに殺してしまった……。とある種の罪悪感に見舞われます。

その罪悪感とやるせなさ(敵である鬼にも事情があるから)を浄化してくれるのが優しきヒーロー竈門炭治郎なのです。

倒した敵に手を合わせる。来世では神様に許されますようにと願う。

敵をやっつけるだけで終わらないのが「鬼滅の刃」の最大の魅力でしょう!

僕が泣いた原因もここにあります。敵味方、ともに背景がある。それを知った時、感動するんです。生きるにせよ死ぬにせよ何かがあったのだと。

 

3作者さんが本当に丁寧!

主人公の炭治郎は血筋も良いわけではありませんから、コツコツと努力を重ねるわけです。

これは贔屓かもしれませんが、作者さんもコツコツ積み重ねるタイプの人なんじゃないかなぁ。

とにかく設定がちゃんとしてる。主人公たちが最初の方に倒す敵にでさえエピソードがあるんです。味方の端役にも設定がちゃんとあります。しかも作中でちゃんと出てくるんですね。

扉絵の所にも設定がしっかりと書かれています。文章ですがそれでもちゃんとしてるなぁと思わせる丁寧ぶり。

主人公も作者さんも丁寧なのが強みなんでしょうね。コツコツ、コツコツ積み重ねる。

敵であってもぞんざいに扱わない。活躍しない様な端役でもちゃんとエピソードが掛かれる。

 この丁寧さが読者にちゃんと伝わった結果、一大ブームが起きたんじゃないかな。

 

 

コロナ禍で流行った意味。

鬼滅の刃」について書きましたが、この作品はコロナ禍で流行した。

その意味がちょっと分かった気がするんですよね。

みんなが苦しい時代に、特別でない主人公がコツコツ努力して、必死に頑張る。

その強さの理由は優しさ。

まさにコロナ禍での模範生ですよね。

カミュの『ペスト』でも、これは繰り返しなんだ。繰り返していくしかないんだ。

というようなシーンがあったと思います。

本当に苦しい時、コツコツやるのは難しい。でも、何とか必死で頑張る。

これを行動で示してくれたのが炭治郎たちなのでしょう。

鬼滅の刃」はコロナ禍でどうするべきかの回答だったのかもしれません。

本当にいい作品でした。おわり

ニートの僕が高嶋ちさ子に申し上げる!

目次

 

ひとこと申し上げたい!

2021年1月6日。

Twitter高嶋ちさ子さんのお名前が挙がっていたので取り上げます。

プラスの方向で取り上げてはいません。

どうもテレビで「男の子はハズレ」というような旨の発言をしてしまったようです。

 

これについてニート息子の僕から申し上げる!

 

子供が死ぬぞ!!!!

 

僕はずっとダメ息子でした。今もです。

それでも鬱や自殺について両親と話すうちに僕をちょっと理解してくれました。

親と子の関係って大事です。

 

もし、鬱の酷いころの僕が「男の子はハズレ」なんて言葉を聞いたら、間違いなく死にたくなります。

 

絶対にやめた方が良い。

このテレビを見てしまった人もです。気を付けた方が良い。感覚論で、何か凄いアーティストが言ってるんだから……。

みたいな無思慮な行動を子供に見せるべきではないです。

 

子供のことが大事なら、それなりに考えて発言する。行動する。これが大事です。

 

バイオリンを聞いてみろ!に対する反論。

Twitterを見てますと、高嶋ちさ子毒親だと言ってるやつの方がバカ!バイオリン訊いてみろ!

 

というような意見も見当たります。

なるほど。しかし僕はもっと理性的になってほしい。

 

バイオリン上手かったら人に対してハズレといって良いということになるだろうか?

 

ならない。

 

例えば、アインシュタイン原子力爆弾を作るようアメリカに進言してしまいます。

彼は後悔していたそうです。

 

立派な、物理学者でも間違いを起こすことはあります。

 

有名な凄い人が言ってるんだから正しい!というのは危険な発想です。

 

彼女の音楽は素晴らしいが……。

人間性は別かな?とか、教育に関しては教育の専門家に聞いた方が良いかな?

という想像力を発揮して下さい。

 

決して無責任に子供を育ててはいけない。

 

ゲーム破壊について

これは昔にあった事件で、息子さんのやっていたゲームを破壊してしまったそうです。

 

これについては家庭の教育方針の事ですから、僕が干渉することはできません。

 

ただ、ちょっと考えてみたいと思う。

 

破壊によって子供は良い方向に向かうか?

 

破壊で物事を解決するような人間にならないか?

 

母親にたいして恐怖心を抱かないか?

 

これは暴力と言えるのではないか?

 

所有権の侵害ではないのか?

 

こういう事を考えて破壊したのでしょうか?

考えてやっているなら僕から申し上げられることはありません。

 

ただ、こういう事を考えて教育をしていくというのも大事だと思う。

高嶋ちさ子さん以外のお母さんお父さんにも考えて欲しいです。

 

高嶋ちさ子さんにはサポートが必要か?

正直、僕は周りに人が居ないのかな?と思います。

他の友人たちは「ちょっと大丈夫?」とか「テレビでそれ言っていいの?」とか言ってあげられないのでしょうか?

 

いつも周りが従う人間ばかりだと視野狭窄に陥ります。

そうなっていませんか?高嶋ちさ子さんだけでなく、他のお父さんお母さん、それに僕も。

 

必要になれば専門的なサポートとか必要かな?と思います。

身内にダウン症の方もいるようで、例えばそのサポートや教育が大変というのなら、専門の方に任せるというのは恥ずかしいことではありません。

 

難しいと思ったら他の人に助けてもらう。

子供のためにそういう策を取るのも全然ありです!

 

どうか視野狭窄でありませんように。

 

まとめ

いきなり高嶋ちさ子さんに対して批判してしまいました。

もちろんテレビの事ですから編集されていたり、僕が文脈を読み取れていないということもあるかもしれません。

 

ただ、僕がネットで見て考えたことをここに書きました。

万が一高嶋ちさ子さんに訴えられたりしても、しっかりと意見を表明したいと思います。

 

最後に、皆子供にたいして思慮をもって接していますか?

ご自身は視野狭窄に陥ってませんか?

サポートが必要ではありませんか?

 

恥ずかしいことじゃないです。辛かったら誰かに相談して下さい。

ご自身のためにも、何より将来ある子供のために。

 

 

ニートの僕がVtuber箱推しのデメリットについて考える。

 

タイトル通り、箱推しのデメリットについて考えます。

Vtuberってなに?というところから、箱推しとは何か。

デメリットについての考察。

順を追って書いていきたいと思います。

目次

 

 

 

Vtuberって?

Vtuberって聞いたことありますか?

 

ユーチューバーですと、ヒカキンさんなんかが有名ですよね。

やってることは彼と同じようなものです。

ただ、Vtuberというのはアニメのキャラクターのような人物がゲームの実況や面白企画をやってくれます。

 

ヒカキンさんは生身を映像に映していますよね。

ヒカキンさんの顔がアニメのキャラクターになって話してくれたら面白いと思いませんか?

 

それをやってくれるのがVtuber

 

中にはある種のロールプレイで異世界から来ました!みたいなノリで配信や動画投稿してくれるタレントもいます。

 

ちょっとこそばゆい感じもしますが、新たな試みで最近、認知度も広がっています。

 

今は1万人くらいのVtuberがいるとか。

 

自分の得意なことに特化した動画を上げてくれたり、生配信でスーパープレイを見せてくれるVtuberさんもいてYouTubeを見るのが楽しみです。

 

ニートの僕なんかは暇つぶしに何時間でも見れちゃいます。

 

ネット上でたくさん面白い人が姿を変えて活躍しているわけです。

 

箱推しって?

今日話す”箱推し”というのは企業に所属しているタレントさん(つまりVtuber)たちを丸ごと応援するというような意味です。

 

たとえば現実世界で言うとジャニーズ事務所が大きい事務所としてあります。

「私、ジャニーズ箱推しなの」

といったら、これはジャニーズ全体のことがマルっとひっくるめて全部好きだよ。

というような意味合いです。

まぁ実際は”嵐”の箱推し”キンプリ”の箱推し。と分解して使われていると思います。

 

そのVtuber版。

彼らにも事務所というのがあります。(個人で頑張ってる人もいます!)

 

大きなところですと100人くらい所属しています。

その事務所の箱推し

 

○○箱推し。

という人はその企業に所属するタレント、すべてをひっくるめて好き。ということです。

 

今日はその箱推しのデメリットについて考察したいと思います。

 

 

デメリットについて考察してみた。

 なんでデメリットやねん。皆さんそう思うでしょう。

メリットはたくさんあります。

例えば同じ箱(同じ事務所に所属しているという意味)内で仲が良いタレントさんを見つける。すると自分の好きなタレントさんが2人3人とどんどん増えていきますよね。

 

興味の拡大ができる。

それに自分の好きなタレントさん(所謂、推し)が他のタレントに認められたり、称賛されると、なんだか自分まで嬉しい。

そういう期待感や楽しみがあります。

その嬉しさを過度にネット上で発信してしまうとタレントさんに迷惑が掛かりますから、デメリットでもありますが……。

 

とにかく、箱推しは楽しいんですが、あまり期待すると後の失望も大きくなりますから、あえてデメリットを書こうと思ったんです。

 

1.箱の中に好きじゃないタレントさんがいる。

これは見る側のデメリットですね。

これが一番のデメリットだと思います。

この事務所が面白い!と思って”箱推し”したのに(あの人はちょっと苦手……。)となってしまうと辛い。

 

自分の好きなタレントさんと自分の嫌いなタレントさんがコラボレーションする。

 

これが大変です。

 

当然好きなタレントが出演しているので動画や配信を見たいですよね?

でも共演者が苦手!

じゃあ頑張って観る?それとも観ない?

どっちにしろ自分にとってマイナスになってしまうわけです。

 

 2.「~~ちゃんが○○って言ってたよ」

これが配信で厄介なんですよね。

箱推しだと

(仲良くしてほしい!)

(あの子の事もみて欲しい!)

そういう願望が出てきます。

それにおなじ事務所なんだからそれくらい簡単でしょ?という心理も働いちゃう。

ファンであるなら気を付けたいけど、そういう感情に囚われてつい言っちゃうなんて人も多そうです。

自分が配信や動画のコメント欄で、タレントさんに迷惑をかける。

厄介リスナーになる。

というデメリットがあります。

もちろん善良な箱推しの方はグッと我慢して、見守ることに徹していると思います。

しかし所謂、伝書鳩(他の配信で~~くんが等とコメントする行為)が多い。

箱として活動するタレント本人にとってのデメリットでもありますし

ファンである僕たちとっても厄介な感情を生み出します。

自分が厄介なリスナーになってしまう可能性が高い。

ここが事務所ごと推すということのデメリットですね。

 

3.発言にヒヤヒヤしちゃう。

僕のような気の弱いファンに多いかな?と思います

マインクラフトのような大人数で楽しめるゲームですと自分の好きなタレントさんの他にも参加しているタレントが居るわけです。

 

もし自分の推しがその人に失礼なことをしちゃったら……。

 

そう言うような感情に晒されます。

ここで踏みとどまれればいいのですが、やはり声に出しちゃうファンが多い。

コメントで「そこは~~ちゃんの~~で~~」等々。

求められて発言するならいいんでしょうけど……。

僕が見てるのはこの子だからなぁと他のファンが迷惑がるような発言をしちゃいます。

 

タレントさんの発言も出し、ファンの発言にもヒヤヒヤしながら配信を見ることになります。

 

箱推しですと現状ではこのリスクを避けることはできないですね。

 

この人間関係上の厄介を見たくない!という人は箱推しは精神が削れるかも

 

4.嬉しいデメリット。時間が足りない。

悪いことばかり書いたので良いことも書きます!

 

箱推しは良い意味で時間が足りないです。

いろんな人がいつもどこかで面白いことをしている。チャレンジしている。

そう思うとついついYouTubeを開いちゃう。

時間がいくらあっても足りなくなる。

嬉しいデメリットですね。

まとめ

共演者が嫌いだとモヤモヤしちゃう。

ファンが厄介になりやすいから自分も気をつけなきゃいけない。

人間関係上の厄介がネット上でも見えちゃう。箱推しはそういう事が多い。

 

このあたりがデメリットですね。

忙しい人や、人間関係を見るのも辛い!という人は箱推しより個人別に好きになった方が良いのかなぁ?

なんて僕は思います。

あとは、好きなタレントさんが共演するときはしっかり自衛するというのも手です。

 

僕の考察が少しでもVtuberさんやファンの人に良い影響を与えるといいな。

なんて思いながら終わります。

 

 

ニートは緊急事態宣言が嬉しい!?

緊急事態宣言がでると嬉しい?

最近また、ウィルスが盛り返してきました。そこで首都圏の知事が共同で緊急事態宣言発令を政府に要請したそうです。

 

大声では言えませんが、ニートの僕はちょっと嬉しい。

 

緊急事態宣言が嬉しい。そういう表に出せない心情をちょっと考察してみようと思います。

良心を失ったタイプのニート、ひきこもり。

インターネットを見るとコロナが酷くなる様を肯定的にとらえているようなコメントを見かけることがあります。

 

僕が見かけたのはYouTubeのコメント欄だったと思います。

 

ユーザー名にそういうことが書いてあったんですよね。

 

これは一種の荒らしで、どこまで本気か分かりませんがそういうことを言う奴もいるくらいなのが現在です。

 

ニートの僕からするとちょっとだけ、気持ちは分かる。

 

人生が上手くいっていないと、世間に対して卑屈になるんですよね。

それで、世間の方が上手くいっていないと、すぐに駆け寄ってきて「ざまぁww」と吐き捨てるわけです。

鬱憤晴らしでしょうね。

憂鬱なのはいいけど、発散の方法が良くない。

 

こういう人たちにはそれ相応の支援が必要だと思います。あるいは心の安らぎ。それに想像力。

 

この発言で傷つく人が居るのではないか?逆に自分が批判されるのではないか?という想像力が欠けてしまっているわけです。

 

もちろんこんな発言はするべきじゃない。でもそうしたいと思ってしまうくらい鬱屈している人間がいる。ある種の社会問題ですね。

 

これがニートとか引きこもりのなかでも良心を失ったタイプ。

それに社会人でもイライラするとこういう事を言ったりするのかもしれません

 

こういう人たちも緊急事態宣言で喜ぶでしょうね。

状況が悪化することに喜びを覚えるわけです。

良心や想像力を維持できているニートやひきこもり

まぁ僕はこれに該当する。あるいはそう思いたいだけかもしれないですが……。

 

良心や想像力があれば緊急事態宣言サイコー。というようなことは言わないでしょう

 

ではなぜ内心では嬉しいのか?

 

外に出ないことが称賛される。

 

これに尽きます。

緊急事態宣言が初めて出された時のことを思い出してください。

 

いままで、ひきこもっていた人たちに突然、世間様から「ひきこもってていいよ」

そう言われたんです。

 

僕は正直嬉しかった。

普段は世間からはじかれてますし、劣等感を感じてるわけです。それがいきなり肯定された。

 

嬉しい。嬉しいまではいかなくても、ちょっと安心した。

 

そういうニートやひきこもりの仲間は居るんじゃないでしょうか?

 

逆を言うと緊急事態宣言が出される前は僕たちニートやひきこもりは否定され続けてきたわけですが……。

 

まぁ良心的なニートの心情はここにあると思います。

 

肯定されて嬉しい。あるいは否定されなくなった。

それで心が安らぐ。

だってみんな外に出ないんだもん。休んでいるんだもん。危ないんだもん。

 

普段ならただの言い訳なのに今回はちゃんとした理由があるんです。

 

『来世ではちゃんとします』という漫画があります。

その登場人物の中にメンヘラ風俗嬢の女の子がいます。

 

その子も緊急事態宣言がでるとちょっと安心した、という描写がありました。

 

やっぱり皆、どこか社会に否定的なところがあるんだなぁ。などと思って読んでいました。

 

そういう訳もあって、緊急事態宣言が嬉しいんです。

もちろん、心の中でちょこっと思っているだけですよ。

これが良心的なニートやひきこもり、その他の人種の心情だと思う。

 

緊急事態宣言に賛成。

他には緊急事態宣言を出してくれ!という考えを持った人間。

 

これは言うまでもなく嬉しいでしょうね。忸怩たる思いもあるかもしれませんが。

こういう人は前線で戦ってらっしゃる人だと思います。

毎日頭が下がる思いです。

 

緊急事態宣言が正しいのか、間違っているのか、効果があるのか、僕ごときには分かりませんが、こういう人たちのためにも予防を徹底したいと思っております。

まとめ

世間が恨めしい人間。世間に出ていない人間。緊急事態宣言に賛成の意思を持った人間。

 

表現の形はそれぞれでしょうが。この三種類の人間は緊急事態宣言が嬉しいでしょうね。

 

ニートが妹に5万円あげちゃった話。

5万円あげた

 

タイトルの通りです。妹に5万円あげました。

ニートが親しい人にお金をあげる。そう聞くとニートを脱出して自分でお金を稼いできたある種のサクセスストーリーを想像すると思います。

すいません。

僕があげたのは政府から貰った例の10万円です。そのうちの5万円を妹に上げました。

 

何であげたの?

あげた理由はシンプル。

僕が持っていても使わないから。それに妹は大学生でしっかり勉強しようとしています。しかも映像の勉強。芸術路線でお金がかかりそうじゃないですか。

そもそも給付金は生活支援と経済対策のはず。

じゃあ使わない僕が持っているのは良くないよね。

そう思ってポイっと渡しました。

 

リアクションは?

反応は良かったです。明瞭に「ありがとう」と。

「大事に使う」とも言ってくれました。

大学で芸術路線の勉強をするのってお金かかるんですよ。

ただでさえ教育というのは金がかかる。

それにプラスして家庭の裕福さで有利不利が公然としてある。

これが気に入らないというのもお金を渡した理由です。

例えば東大生の家庭の収入は平均的に900万くらいあるそうです。

他の大学生の家庭と比べるとやっぱり高いんだとか。

ちょっとした反抗心で渡したんですね。

これが妹に良い影響を与えてくれたらなぁと思います。

 

まぁ一番いいのは、僕が脱ニートして汗をながしてお金を稼ぐ。

そうして家族や友人を助けてやる。

そういう事ですよね……。

 

今はまだ無理そうですから、これくらいで許してください。(笑)

 

ニートの僕が後輩にプレゼントを貰ってニートにも話し相手はいた方が良いと思った話

ニートにも話し相手はいた方が良い

ニートしてると話し相手が居ない。そういう事ってあると思います。

僕も今より鬱がひどい時は同居してる家族とも話してませんでした。もちろん大学時代の後輩ともです。

でもそういう生活を続けていると話し方を忘れるんですよね。

例えばコンビニに行って会計をするとき、店員さんの問いかけに対して答えられない。

「ポイントカードはお持ちですか?」

「アッ(声が出ない)」

我ながら情けないエピソードです。

そんな僕が最近は話し相手は居た方が良いなと思ってます。

そのきっかけと理由について今日は書きます。

きっかけ

話し相手が居た方が良いと思ったきっかけですがタイトルにあるように後輩にプレゼントを貰ったんですね。

その時、あっニートにも話し相手くらい居た方が良いな。 

そう感じました。

人との繋がりがあることで少し安心したんですね。

あぁ俺もまだ社会から完全に切り離されてるわけじゃないんだな。と。

単純に嬉しさもありましたしね。

ちなみにプレゼントは後輩の課題を手伝ったからそのお礼に貰いました。

何もしないでプレゼントが貰えるほど甘くないんですよね。

僕が絶世の美男子だったら違ったかもしれませんが。

f:id:RenmiNatsuki:20201221203004j:plain

貰ったブックカバー

話し相手が居た方が良い理由

具体的に話し相手が居た方が良い理由を書いていきます。

 

1、嬉しい

シンプルな感情論ですがやっぱり実際に話しかけてもらったりすると嬉しいです。僕は話していく過程で後輩の課題を手伝いましたし、その結果プレゼントがもらえました。

つまりこの嬉しさを大事にした結果なんですね。

もちろんプレゼント目的で彼女を手伝ったわけではありませんが、それでもお互いにとって良かったと思ってます。

僕は話し相手が居て嬉しい。彼女からすると、話し相手の先輩に課題を手伝ってもらえてうれしい。と

話し相手がいることは自分にとっても相手にとってもメリットがあるんですね。

 

2、世間の事を知ることができる。

ニートって世間で何が起こってるのか分からなくなる時があります。

ニュースとか新聞、Twitterでも見てればある程度は分かるんでしょうけど、実際に何が起きてるのか?社会生活を普通に送ってる人からするとどう感じるのか?そういう生の声を聴くことになります。

これはニュースでは分からない。

街頭インタビューとかありますけど最近ちょっと作為的ですよね。

やっぱり話し相手が居て直接聞くというのが一番良さそうです。

僕は後輩に大学はどうなってるのか?コロナ大丈夫?最近の教育ってどんな感じ?(後輩は教育学部)何が流行ってる?等々聞きましたね。

他にも雑談的に今何のゲームやってるの?とか。YouTube誰が流行ってるの?みたいな軽い話題も出ましたね。

世間がどうなってるのか分かるのはありがたい。

ニートの知らない間に世間や社会がニートは全員殺せ!みたいになってたら嫌ですしね。(笑)

世間を知っておくのは大事だと思います。

 

3、何もない人生のなかの小さなイベント

ニートの人生って何も無い気がしません?部屋や家に閉じこもってるから毎日何も起こらない。みたいな。

本を読んだり、アニメや映画を観たりということはあるんですけど自分が主体となって何か起きるということはあまりないんです。

人生のそういう時期に話し相手がいると助かります。もちろん僕から予定を聞いてこの日にちょっと話を聞かせてよ。ということもありますし、後輩の方からも課題手伝ってくださいといきなり連絡があることがある。

これが何もない人生のアクセントになるんですよねぇ。

社会人の方とかは毎日、会社の上司からとか、後輩からとか、取引先の相手からとかイベントが起きると思うんですね。

それがあるから人生に張り合いがある。今日も何か起きるかもしれないと期待できる。

ニートもちょっとくらい期待していいと思うんですよね。

ニートだろうが非ニートだろうが同じ人生ですからね。

おわり

僕が実感した話し相手が居た方が良いという話はこれで終わりです。

話し相手は今まで積み上げてきた交友関係の中に居るかもしれませんし、Twitterのリプライかもしれません。関係が悪くなければ家族とも話せると思います。(僕は最近家族とよく話す)もっと言えばお金さえ払えちゃえば話を聞いてくれる人もいるでしょう。

そういう方に誘導するつもりはありませんが、話し相手がいるのは悪くないです。

嬉しいし、世間のことを知ることができるし、人生にちょっとだけ期待できます。

もちろんニート視野狭窄を防ぐことにもなるでしょう。話し方を思い出したりもできるでしょう。

そういう事で話し相手が居た方が良いのかな。なんて思いました。



 

 

 

 

ひきこもりの僕が「ひきこもり文学」というNHK特集を見た話。

「ひきこもり文学」

12月5日に「ひきこもり文学」なる特集がNHKで放送されました。

僕はこの特集を録画で見ました。12月9日です。

 

「ひきこもり文学」というとてっきり僕はドストエフスキーの「地下室の手記」とか安部公房の「方舟さくら号」とかの難しい話かと思ったのですけど実際は現代のひきこもり当事者たちの詩や文章を紹介する特集でした。

 

当事者の僕から見てもとても興味深かった。

 

共感

 

この特集を見るとやっぱり共感する。

この教官はひきこもりの人間にしかできないと思うと、ちょっと嬉しくもある。

 

なぜなら社会に無思慮に迎合している人間には共感することはできないから。

 

こういうことを言うとちょっとひきこもりを格好よく言い過ぎでしょうか。

でも僕はひきこもりに対して否定的ではないのでこういう事を言いますし、言えます。

 

話を戻すとこの特集はやっぱり共感できる内容でした。

 

「日中に外出するなんて正気の沙汰じゃない。逃亡者みたいな気分になる」

まさに!よく言ってくれました!

 

僕もひきこもりになってすぐの頃、こういう気持ちが大きかった。

 

とにかく批判されているような気がする。馬鹿にされているような気がする。社会というのは残酷で僕を刺す。こういう風な気持ちがありました。

 

最近は開き直ってそんなことを思わなくなりましたが。

 

他にも

「母親が教育圧力を高めた。親の言いなりになるしかなかった」

本当にそう!やっぱり他の人もそうなんだ!

 

なぜかは分からないけども母親というのは僕や僕たちを無条件には愛してくれないんです。

 

ちゃんと学校へ行って、ちゃんと友達と遊んで、ちゃんと就職して、ちゃんと結婚して等々、こういう条件付きの元でしか愛してくれないんです。

 

なんで「愛してる」「生きているだけでいい」「私たちが産んだのだから」

そういうことを言ってくれないんだろう。無条件で愛してくれないんだろう。

 

僕が親だったら責任をもって人生の面倒を見るのに。

 

「自分は耐えられない。自分が汚れていくことも。世界の汚い部分を知ることも」

 

冒頭の詩です。

 

そう!僕も世界に耐えられない!

世界に対しての不信感とか、不安感もあるんだけどもやっぱり世界というのはちょっと残酷なところがある。

 

例えば、できない奴を軽蔑したり。怒ったり、不機嫌になったり、世界は善良な人間ばかりで構成されていないんですよね。そのことに嫌気がさして、あるいは逃げないといけなくなってひきこもる。

 

世界が悪い、社会が悪い。そういう事を言うと「甘えるな」「責任転嫁だ」等々、言われそうではあるけども、今の社会は全く完璧かと言うとそうではないと思う。

 

その不完全な世界や社会にいるだけの力がないんですよね。

 

たぶん普通に働いている人とかは我慢して頑張ってると思います。

上司の理不尽に耐えたりとか、人の目を気にしたりとか、自分を飾ったりとか。

 

そういう人はすごいと思う。皮肉ではなくて。

 

僕にはそういう力、体力、忍耐、そういったものがない。だから引きこもってる。

 

驚嘆

 

共感もありましたが、驚嘆。驚きもありました。

 

この特集を見ればすぐに分かるのだけど皆さん言葉を操るのが上手い。

それに自己分析も。

 

もちろん大変な苦しみの上にこの言葉や分析があると思うのだけど。それでも下手ながらに小説やブログを書こうとしている僕からすると本当にすごい。

 

それに「ひきポス」という雑誌があるらしい。

ひきこもりのための雑誌があるなんて。よくそんな大それたことを実行に移せているなと思う。

 

普通の社会生活を営んでいるサラリーマンの人とかでもなかなかやった事がないだろう。雑誌を作るとか、そこに言葉を投稿するとか。

 

ひきこもりだからって劣等だと決めつけるのは早計だというのが分かる。

 

僕もこういう立派なひきこもりに成りたい。社会からすると気に入らないだろうけど。

 

ひきこもりでも生きていたい

今回の特集を見てそう思った。ひきこもりにはひきこもりなりの人生がある。

確かに死にたいと思ったこともあるけど、生きてていい。生きてる人もいる。

そう思うと生きる勇気が湧く。

他のひきこもりの人もそう思ってたら良いなと若輩者ながらに思う。

なにも死ぬことはないよ。たぶんそう。