蓮見七月の部屋から考察

部屋から考える社会・世間

ひきこもりの僕が「ひきこもり文学」というNHK特集を見た話。

「ひきこもり文学」

12月5日に「ひきこもり文学」なる特集がNHKで放送されました。

僕はこの特集を録画で見ました。12月9日です。

 

「ひきこもり文学」というとてっきり僕はドストエフスキーの「地下室の手記」とか安部公房の「方舟さくら号」とかの難しい話かと思ったのですけど実際は現代のひきこもり当事者たちの詩や文章を紹介する特集でした。

 

当事者の僕から見てもとても興味深かった。

 

共感

 

この特集を見るとやっぱり共感する。

この教官はひきこもりの人間にしかできないと思うと、ちょっと嬉しくもある。

 

なぜなら社会に無思慮に迎合している人間には共感することはできないから。

 

こういうことを言うとちょっとひきこもりを格好よく言い過ぎでしょうか。

でも僕はひきこもりに対して否定的ではないのでこういう事を言いますし、言えます。

 

話を戻すとこの特集はやっぱり共感できる内容でした。

 

「日中に外出するなんて正気の沙汰じゃない。逃亡者みたいな気分になる」

まさに!よく言ってくれました!

 

僕もひきこもりになってすぐの頃、こういう気持ちが大きかった。

 

とにかく批判されているような気がする。馬鹿にされているような気がする。社会というのは残酷で僕を刺す。こういう風な気持ちがありました。

 

最近は開き直ってそんなことを思わなくなりましたが。

 

他にも

「母親が教育圧力を高めた。親の言いなりになるしかなかった」

本当にそう!やっぱり他の人もそうなんだ!

 

なぜかは分からないけども母親というのは僕や僕たちを無条件には愛してくれないんです。

 

ちゃんと学校へ行って、ちゃんと友達と遊んで、ちゃんと就職して、ちゃんと結婚して等々、こういう条件付きの元でしか愛してくれないんです。

 

なんで「愛してる」「生きているだけでいい」「私たちが産んだのだから」

そういうことを言ってくれないんだろう。無条件で愛してくれないんだろう。

 

僕が親だったら責任をもって人生の面倒を見るのに。

 

「自分は耐えられない。自分が汚れていくことも。世界の汚い部分を知ることも」

 

冒頭の詩です。

 

そう!僕も世界に耐えられない!

世界に対しての不信感とか、不安感もあるんだけどもやっぱり世界というのはちょっと残酷なところがある。

 

例えば、できない奴を軽蔑したり。怒ったり、不機嫌になったり、世界は善良な人間ばかりで構成されていないんですよね。そのことに嫌気がさして、あるいは逃げないといけなくなってひきこもる。

 

世界が悪い、社会が悪い。そういう事を言うと「甘えるな」「責任転嫁だ」等々、言われそうではあるけども、今の社会は全く完璧かと言うとそうではないと思う。

 

その不完全な世界や社会にいるだけの力がないんですよね。

 

たぶん普通に働いている人とかは我慢して頑張ってると思います。

上司の理不尽に耐えたりとか、人の目を気にしたりとか、自分を飾ったりとか。

 

そういう人はすごいと思う。皮肉ではなくて。

 

僕にはそういう力、体力、忍耐、そういったものがない。だから引きこもってる。

 

驚嘆

 

共感もありましたが、驚嘆。驚きもありました。

 

この特集を見ればすぐに分かるのだけど皆さん言葉を操るのが上手い。

それに自己分析も。

 

もちろん大変な苦しみの上にこの言葉や分析があると思うのだけど。それでも下手ながらに小説やブログを書こうとしている僕からすると本当にすごい。

 

それに「ひきポス」という雑誌があるらしい。

ひきこもりのための雑誌があるなんて。よくそんな大それたことを実行に移せているなと思う。

 

普通の社会生活を営んでいるサラリーマンの人とかでもなかなかやった事がないだろう。雑誌を作るとか、そこに言葉を投稿するとか。

 

ひきこもりだからって劣等だと決めつけるのは早計だというのが分かる。

 

僕もこういう立派なひきこもりに成りたい。社会からすると気に入らないだろうけど。

 

ひきこもりでも生きていたい

今回の特集を見てそう思った。ひきこもりにはひきこもりなりの人生がある。

確かに死にたいと思ったこともあるけど、生きてていい。生きてる人もいる。

そう思うと生きる勇気が湧く。

他のひきこもりの人もそう思ってたら良いなと若輩者ながらに思う。

なにも死ぬことはないよ。たぶんそう。