蓮見七月の部屋から考察

部屋から考える社会・世間

ウクライナ危機と日本人 ニートの考察

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ウクライナが危機的な状況にあると報道されてしばらく経ちました。

 

ニートの僕が考察できるのはウクライナの状況や歴史ではなく、もちろんロシアの思惑や今後でもありません。

 

報道を受けた日本人のリアクションについてです。

 

報道に対する反応は主にYouTubeに投稿された報道のコメント欄で見ることができます。

ぼくはニートだからよく見るのです。

 

そして、気になる事があるのです。

それは戦争、それどころか第三次世界大戦の開始を望む様なコメントがある事です。

もちろんマジョリティじゃありません。

 

でも確かにいるのです。

 

第三次世界大戦の始まりだ」

「そろそろ血が見たくなってきた」

「面白いことになって来た」

 

信じられないかもしれませんが、こういうコメントがたまにあるんです。

 

もちろん、ネットとという顔の見えない空間だからそういうことを言っているのかもしれない。

でも、言えてしまうんです。言ってしまう人が居るんです。

 

ぼくは「日本は唯一の戦争被爆国なんだぞ! 第二次大戦の枢軸国になってしまったんだぞ! 多くの人を殺したし、死んだんだぞ!」

そういう説教じみたことは言えません。

 

現役ニートのぼくが言っても空々しい。それどころか専門家が言ったって説得力はあまりない。

あの時代を経験したことも無ければ、戦争に行ったことも無いのだから。

 

じゃあ何が言いたいのか?

ぼくは日本が病んでいると思う。病んでる人が多いと思う。

 

対岸の火事だから、ゲームの様に語れるのかもしれない。

ぼくらは巻き込まれることは無いだろうという正常性バイアスが掛かっているのかもしれない。

でもだからって、戦争を待ち望む様な発言をして良いワケが無い。

 

ニートでも分かるような論法を実践できていない人が居る。

 

そう言う人を排除しろというのではないです。逆です。助けてあげた方が良いんです。

 

戦争を待ち望むという事は、現実世界に絶望しているってことです。

 

親は子供のために戦争が起きて欲しくないと願うでしょう。

子供が居なくても職場や、友人が居れば、彼ら彼女らの顔を思い出して戦争なんて最悪だ!と言えるでしょう。

 

でもそれができない人は、たぶん、人生が上手くいってない。

 

コメント欄に書き込むとき、親や友人、見えないけど確かに存在する世界各国の兵隊たち、ウクライナに生きる人々、その顔を想像できていないんです。

あるいは想像したうえで死んでしまえ!と思っているのです。

 

なぜそんな破滅的な心情になってしまっているのか。

 

たぶん現実が上手くいってなくて、何か巨大な不可避の力でこの世を破壊して欲しいと願ってしまっているのです。

つまり彼らに戦争を望ませてしまっているのは、現代のこの日本という国や社会や人なのではないでしょうか?

 

親ガチャという言葉が生まれたり、拡大自殺(他の人を巻き込んで死のうとすること)やたくさん人を殺して死刑になりたいと思う人が出てきたり、格差があるって事が分かってきたり。

 

こう言う、見えない閉塞感や絶望感、先の見えなさが戦争を望ませてしまっているのではないでしょうか?

 

ぼくにこれを解決する手段はありません。

立派な政治家にもたぶんできません。というか、出来ていないからこういう社会になっているんだと思います。

 

とにかく、今の日本には希望が無い。あるいは無い様に見えてしまう。という事が問題なんです。

 

どうすればいいのか、本当に分からない。

選挙に行くくらいしか思いつかない。

僕のブログや小説を読んでもらって絶望しているその気持ちを紛らわしてもらう等しか考えつかない。

 

大火にじょうろで対抗するようなモノだと思う。

偉い小説家や映画監督でも難しい。一時、気を紛らわせても抜本的な解決にはならないからだ。

 

絶望して破壊を望んでいる人達が、幸せになったり、自分で考えて卒業するほか、解決策は無いと思う。

 

このブログを読んでいる人で、もし戦争を望んでしまっている人が居るなら、どうか卒業して幸せになって欲しい。

 

身近な人が、この世界的危機を喜んで話している様だったら、どうか話を聞いてあげて欲しい。絶望しているのかもしれないからだ。

 

ニートのぼくが言っても仕方ないけど、どうか、みんな幸せになって欲しい。

戦争を望んだりしないで欲しい。

なにか大きな力に今を変えて貰おうと、思うことを卒業して欲しい。

できれば自分で自分の感情を見つめ直して変えて欲しい。

 

繰り返しになるけど、絶望せずに、戦争を望まずに、幸せになって欲しい。

心だけでも。