蓮見七月の部屋から考察

部屋から考える社会・世間

『ぼくはカラオケに行けない』ニートのてきとうエッセイ

ぼくは当然の様に女の子と話すのが不得意だ。

小さい頃から恥ずかしかった。少し大人になると怖くなった。

 

小さい頃、恥ずかしいと思ったのは女性というものについて知識が無かったからだろう。

大人になって怖いと思い始めたのは間違いなく母のせいだ。

彼女はぼくを支配する。

 

他の女性も母と似ているのではないかと思ったし、今も少し思っている。

何かあればすぐにぼくを非難する。ぼくの趣味や主張をバカにする。

ぼくのプライバシーを勝手に覗いて批評する。

 

そう言う面が他の人にもあるのでは? そう思うと女性以外も怖くなった。

幸いなことにぼくには心を許せる友人が居て、彼らの前でなら恐ろしい人間の心の内を気にすることは無い。

 

ただ、他人は怖い。

 

人が怖くなると恐怖から身を護るため、ぼくは自分の内面を隠そうとした。

ぼくはそれで口を開けなくなってしまった。

 

もちろん会話するときは口を開ける。

食事する時もそうだ。

でも必要最低限。

 

昼食を食べられない時期もあった。大学生の時に鬱が酷かったからだろう。

昼食を食べると口が開く。口が開くと無防備だ。

 

そう関連付けて想像したら、ぼくはご飯を食べなくなった。

 

女性と会話する時も口の開きを最小限に抑えてた。

攻撃してくるかもしれない他人に自分の内側、それも口内なんて繊細そうなところは晒せない。

 

口を開けることに対する恐怖が膨らみ、ぼくはカラオケにも行けなくなった。

もちろんカラオケが好きじゃないという事もある。小学生、中学生の頃からカラオケに行く人を観て不思議に思った。

 

なんであんなうるさい所に行くんだろう?

 

2回ほど言って見たことがあるけれど、参加者全員が歌う順番や点数に気を遣っていたのでぼくは疲れた。

 

あれはもう政治の場だとぼくは思った。

 

上手くやれれば支持率アップ。つまり女子にモテるとか男子とカップル成立とか。

下手をすれば相手にされない。人間から透明人間に降格だ。

 

だからぼくはカラオケに行けない。友人たちとも一緒に行けない。

口を大きく開けて、政治の様な喧々諤々の世界に飛び込むなんて、理解できない。

 

ぼくなんかすぐにソードラインを超えて切られてしまう。

女子の剣はきっと鋭く速い。

ぼくなんか再起不能になってしまう。

 

友人たちと行ったら、きっと彼らは気を遣う。

気を遣うシーンが嫌いなのに、自分が好きな友人に気を遣わせたら本末転倒。

 

ぼくは八方ふさがりで、結局カラオケから逃げるしかない。

 

「カラオケ行ってきた!」

なんて楽しく言う人が羨ましい。

他人に無防備を晒せるなんて幸せだ。ぼくからしたら天才的な才能だ。

 

カラオケに行ける人、どうか楽しんで。

ぼくは戦いを放棄する。 いつか一人カラオケでも……。 なんて妄想しながら。