蓮見七月の部屋から考察

部屋から考える社会・世間

NHKの三島由紀夫さんの特集を見て体が震えた話。

三島由紀夫の特集を見て震える。

11月21日NHK三島由紀夫さんの特集が組まれた。

言わずと知れた大文豪。僕も下手の横好きに小説を書いているけども、彼などには及ぶべくもない。

僕が読んだ作品は『金閣寺』くらいなのだけども。それでも文章の美しさと、人間に対する洞察はこれは天才だ!そう叫びたくなるような作品だったのを覚えています。

そういう彼の特集をみて体が震えました。

震えの理由。

特集を見て震えたのは確かだけど、なぜ震えたのかそれを考えたいと思います。

 

まず、僕自身、下手の横好きだけども小説を書くことから、三島さんに対する嫉妬。

大変、悔しかった。

キミみたいなニートが何を悔しがるんだ?そう思うかもしれないけども、同じ人間でありながら、こういう立派な人が居る、そして自分は彼に遠く及ばない。そういう事を実感すると悔しさに体が震えた。

 

次に、彼に対する怒り。

正直に言って僕は彼のことが好きではないのだと思う。もちろん現時点でという意味でこれから一切彼のことは考えませんというようなことではない。

なんで僕ごときが彼のことが嫌いなのか?それは彼の自分自身を許せないでいるようなところだと思う。

戦争に行けなかったとか、身体が弱いだとか。そういうところにコンプレックスがあるらしい。

でも僕はそのコンプレックスを矯正しないといけないというような強迫観念が好きになれないのです。

弱いことには弱いなりのメリットがあると思うのです。

例えば、戦争。

僕はあの時代に生きていないから言えるのかもしれないけども、戦争に行きたいだなんて平和の時代に生きてる人間が言って良いことじゃないと思う。

格好はいいし、共同体のために尽くすということは美しく見えるかもしれないけども、実際は人を殺したり、殺されるということだと思う。それに賛成だなんて平和のために戦った人に失礼だと思う。

 

次に肉体的なところ。

病弱なのが嫌だったようだけど、僕からすると色白の、華奢な肉体の方が好きだ。

これは僕の好みの話かもしれないが、それでも筋骨隆々ではない良さがあるのにそれを強引に帰るという強迫観念じみた行動が僕からするともったいない気がする。

肉体的に頑強でなくとも格好の良い人、立派な人はたくさんいると思う。

例えば人気の沖田総司なんて結核。ローマの初代皇帝アウグストゥスは胃腸の方が弱いらしく、戦下手。

それでもそれぞれ良いところがある。

それを否定するかのような行動が僕には悲しく思えたんです。

 

僕自身の弱さまで否定されるんじゃないかということを思ってしまって体が震えたんだと思う。

盾の会について。

100人くらいの学生を集めて軍隊の真似事のようなことをしたらしい。

そして有名な割腹自殺。

僕からすると自殺も若者を集めて楽しむのもかまわないと思う。

しかし、それでクーデターを呼びかけるというのはいかがなものか。

しかも本人は政治はやりたくないという。

その社会を巻き込んだところに僕は納得がいかない!

もしクーデターが成功したらどうなるのか?

今まで築いてきたものが崩壊する。戦後の憲法についてどうするか四苦八苦した当時の政治家や憲法9条との兼ね合いを考えて苦悩する人々に対して大変失礼だと思う。

個人でやればよかったと思う。僕ごときが僭越だろうか。

「天才の心中を推察するのは僭越だ」というコメントに対して

NHKの特集の中で美輪明宏さんがノーベル文学賞を逃した三島さんの心中について訊かれてインタビューでこう答えた。

確かにこのコメントができるのは格好いい。それに友人間の友情からなる発言なら全く納得できることだと思う。

ただ僕はこれを真正面から肯定して”天才の事だから”そういう風にして思考を放棄するようなことになるのは御免だ。

天才の神格化。

僕は神格化についてあまりよく思わない。だれも否定できなくなるから。

思考を放棄して格好良い人、天才的な人に付き従うのは動物でもできると思う。

サルが強いリーダーについていくようなことは動物ならできる。

でも僕たちは人間だ。人間には思考がある。

人間として生きるためには思考放棄するようなことをしてはいけないと思う。

思考放棄につながるような風潮や熱狂、狂信、陶酔、僕はこれに対して否定的だ。

そういう事で、美輪明宏さんのコメントを全面的に肯定することはできない。

ただ、友人として言うならば、これ以上ない立派なコメントだったと思う。

終わりに

僕はやっぱり熱狂とか、狂信とかが気に入らないらしい。三島さんみたいにお祭りに参加して神輿を担ぐというようなことは僕はでき無さそうだ。

僕は外から見ていて、神輿が海や、山、火中、銃弾の飛び交う戦場に向かうようなことが起きたときに、そっと「それは本当に大丈夫?」といえるような人間になりたいと思う。